旧本多家住宅長屋門は,代々国分寺村の名主であった本多家の屋敷の入口に,表門と先代当主の隠居所を兼ねて,江戸時代末期に建築されました。同家には,弘化5年(1848)3月の「表御門御長屋仕様御注文」が残り,建物を建てようとした当時の細かい仕様が窺えます。
幕末から明治時代には,分家の本多雖軒が村医を開業して,教育や書画などを多方面に活動する拠点として利用し,さらに大正時代以降には,建物を利用して養蚕を行っていたことも判明しました。
建築後,170年近くの歳月がたち,建物の劣化が著しくなったため,市では平成27~29年に保存修理工事を行い,1階西側の土間を管理室,2階を展示室として活用しています。