都内では、江戸時代後期から明治時代にかけて、米俵や酒樽・大石などを持ち上げて「力持」を競う会が神社の境内などで盛んに開かれました。力石はその際に用いられた石で、年号・人名・重量などの刻字を加えて優勝者の記念としたものが多く残されています。
この縦48cm、横40cm、高さ34cmほどの河原石の表には「奉納 三拾貫目」、右側には「文久二戌八月十五日」、左側には「當所願主藤野栄治郎」と刻字があり、藤野栄治郎こと冨士野栄次郎が願主となり、江戸時代末の文久2年(1862)に本多新田の鎮守八幡神社へ奉納したもので、重量はおよそ100kgと推定されます。
地元の伝承によれば、栄次郎は本多新田の若者の中でも一番の力持ちで、この石を持ち上げことができたと伝えられています。