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恋ヶ窪伝説

よみがな こいがくぼでんせつ
紹介文 鎌倉の源頼朝に仕えた秩父の庄司、武将 畠山重忠(はたけやましげただ)は、鎌倉街道の沿道に位置する国分寺の恋ヶ窪宿で遊女夙妻太夫(あさづまだゆう)と恋におちます。重忠が平家追討のため西国へ旅立つ際に、夙妻太夫は重忠の身を案じ、一緒に連れて行って欲しいと頼みましたが、戦いに女性を連れて行くことはできないため、忠重は一人で出征し、残された夙妻太夫は、毎日忠重の身を案じて暮らしていました。
夙妻太夫に思いを寄せる男が、二人の仲を引き裂こうと「重忠が戦いで討ち死にした」と嘘を告げると、夙妻太夫悲しみにくれて姿見の池へ入水自殺をしてしまいました。夙妻太夫の死を哀れんだ村人が手厚く葬り墓印として松を植えると、その松は夙妻太夫の悲しみのためか一葉になっていました。その後、戻った重忠が夙妻太夫の死を知り、供養のために無量山道成寺を建立して、阿弥陀如来立像を安置したほか、太夫の魂をなぐさめるため金仏様を造らせて太夫をとむらったと伝えられています。金仏様は現在、府中市の善明寺にあります。

お知らせ 【姿見の池】
東京都国分寺市西恋ヶ窪1-8

【一葉松】(東福寺境内)
 「傾城墓由来碑」
東京都国分寺市西恋ヶ窪1-39-5

【善明寺】
東京都府中市本町1-5-4