ぶらり国・府

観光

野川源流と武蔵野コース
国分寺駅北口側にも歴史を物語るものが残っており、それぞれ思いをめぐらせると、恋ヶ窪という地名が切なくロマンチックに感じられるコースです。

恋ヶ窪東遺跡 柄鏡形敷石住居跡

縄文時代の中期末から後期にかけて、関東から中部地方で住居の床面に石(礫)を敷くことが流行しました。この住居跡は、出入口部が突出した様子から「柄鏡形敷石住居跡」と呼ばれています。型どりをして復元展示をしています。

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東山道武蔵路跡 恋ヶ窪地区

【国史跡】 恋ヶ窪谷低地は、古代も湿地が広がる地域でした。恋ヶ窪地区では、東山道武蔵路を直線でつくるために敷粗朶工法と呼ばれる葦の茎や枝葉を敷いて地盤の滑りを防止し、さらに土を交互に重ねて基盤強化した痕跡が見つかっています。姿見の池に解説板があります。

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姿見の池

【都名湧水57選】 鎌倉時代、恋ヶ窪は宿場町として栄え、遊女達が池で、朝な夕なに自らの姿を映していたことから「姿見の池」と呼ばれるようになったと伝えられています。恋ヶ窪という地名の由来の一つともいわれています。 昭和に入り一度埋め立てられましたが、現在は隣接する東京都緑地保全地域と一体的に整備され、かつての武蔵野の里山風景を見ることができます。「武蔵野夫人」(大岡昇平著)に登場したほか、野鳥が観察できるスポットとしても人気の名所となっています。

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一葉松(東福寺境内)

恋ヶ窪伝説に由来する一本葉の松は、いつしか「一葉松」と呼ばれるようになりました。言い伝えの一葉松は、昭和56年(1981)に枯れてしまいましたが、現在、実生の松が東福寺境内に植えられ、見ることができます。

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国分寺市立西恋ヶ窪緑地「エックス山」

国分寺崖線の最北端に位置する約14,000㎡の樹林地です。遊歩道が整備され、貴重な自然環境が維持されてきました。かつて、X字型に交わる道があったことから、「エックス山」と呼ばれています。

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恋ヶ窪用水跡

玉川上水が完成した4年後の明暦3年(1657)に、国分寺村、恋ヶ窪村、貫井村(現小金井市内)の3ヶ村組合が、江戸幕府に願い出て水田用に分水した国分寺村分水の一部で、恋ヶ窪用水と呼ばれています。市内の分水の中で最も古く、大きな堀は昔のままの姿を残しています。

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熊野神社 (国分寺市西恋ヶ窪)

創建は不明、元弘3年(1333)「分倍河原の戦い」に巻き込まれ社殿が焼失したと伝えられています。境内には文明18年(1486)当地を訪れ、恋ヶ窪の地名を詠んだ聖護院道興の歌碑や、幕末に江戸で俳句の宗匠として活躍した宝雪庵可尊が建立した芭蕉句碑があります。

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株式会社日立製作所 中央研究所庭園

大正時代は実業家の別荘で、昭和17年に研究所が設立されました。 庭園内には約27,000本の樹木や野鳥が多く、豊富な湧水は野川の主要源泉のひとつです。 通常、一般の立ち入りはできませんが、年2回(春4月・秋11月)日曜日、一般に庭園が公開されます。

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電車開通記念碑

明治22年(1889)に新宿~立川間で開通した甲武鉄道(現在の中央線)が政府に買収され、その後大正11年(1922)に国分寺駅まで電化が進み、蒸気機関車から電車になったのを記念して、同年11月21日に建てられた碑です。

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このてかしわ(祥応寺境内)

【市重要天然記念物】 ヒノキ科の常緑針葉樹で、中国北西部を原産とし古い時期に渡来しています。 当初は本堂前の左右に植えられていましたが、昭和初期に左側の1本が枯れ、現在は右側の木だけが残っています。 枯れた木の根で地蔵尊が彫られ、地蔵堂に安置されています。

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国分寺市民俗資料室

昭和50年から、市史編さん事業が開始され、編さん過程で収集した写真・古文書やその後寄贈を受けた民具などを収蔵し、国分寺市内の農業、特に麦作りに関わる農具を展示しています。

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日本の宇宙開発発祥の地顕彰記念碑

昭和30年(1955)、糸川英夫博士率いる東大生産技術研究所が、南部銃製造所跡(現在の早稲田実業学校校庭)で、長さ23㎝の小型ロケット(通称ペンシルロケット)の水平発射実験を行いました。これが日本の宇宙開発のスタートであり、国分寺市は「日本の宇宙開発発祥の地」と言われています。 平成17年(2005)にペンシルロケット発射実験50周年を迎え、翌平成18年(2006)4月に「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰記念碑が建立されました。顕彰記念碑は早稲田実業学校校門の王貞治記念碑(第1号国民栄誉賞記念碑)に隣接して設置され、地下に宇宙航空研究開発機構(JAXA)が全国の小学校・中学校から募集した50年後のロケット図案を松本零士氏案のタイムカプセルに入れて埋設し、50年後に開封する計画を立てています。

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本町遺跡(国分寺村石器時代遺跡)

明治27年(1894)、日本人単独による日本初の考古学の発掘調査が行われた遺跡です。考古学者の大野延太郎と鳥居龍造は、切り崩した崖の部分に石器などが噴出している層を発見し、『東京人類学雑誌』に発表しました。

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