【都名湧水57選】 鎌倉時代、恋ヶ窪は宿場町として栄え、遊女達が池で、朝な夕なに自らの姿を映していたことから「姿見の池」と呼ばれるようになったと伝えられています。恋ヶ窪という地名の由来の一つともいわれています。 昭和に入り一度埋め立てられましたが、現在は隣接する東京都緑地保全地域と一体的に整備され、かつての武蔵野の里山風景を見ることができます。「武蔵野夫人」(大岡昇平著)に登場したほか、野鳥が観察できるスポットとしても人気の名所となっています。
【国史跡】 7世紀後半から8世紀前半にかけて整備された都と地方の国府を結ぶ幹線道路(七道)の一つです。 約340mにわたる直線道路跡が発掘され、現在は側溝跡や道路幅をアスファルト上に平面表記しているほか、遺構再生展示もあり、その広大さに当時の姿を実感できます。
旧国鉄・鉄道学園跡地につくられた、1周約500mの園路に囲まれた円形の芝生広場が特徴の都立公園です。 開放感のある広い芝生は家族連れの憩いの場として人気です。 蒸気機関車の車輪を使ったユニークな中央鉄道学園記念碑もあり、また毎年行われる「国分寺まつり」の会場になります。 【主な施設】芝生広場,ふれあい橋,フジの回廊池(武蔵の池・扇の滝),霧の噴水,緑化道路,鉄道学園記念碑,野鳥の森
【東京都指定名勝,全国名水百選(S60),都名湧水57選】 嘉祥元年(848)重い病に苦しんでいた絶世の美女・玉造小町が、薬師如来に祈り池の水で身を清めたところ、たちまち病気が治癒し、元の美しい姿に戻ったという伝承があります。この真姿の池湧水群など国分寺市内の湧水は野川の源流で、世田谷区の二子玉川で多摩川に合流しています。
国分寺崖線の豊かな自然を残す園内は、崖線の下から流れ出た湧水が池を作り、ケヤキなどの大木が生い茂るなど季節ごとに地域の原風景が楽しめます。 園の入口には、江戸時代後期の弘化5年(1848)に建てられた旧国分寺村の名主家の長屋門があります。
展示資料や解説を「見る」、「学ぶ」、そして実際に史跡を「訪ねる」をコンセプトにした資料館です。武蔵国分寺跡の概要や進行中の史跡整備事業などを紹介しているほか、武蔵国分寺推定復元模型(縮尺1/200)も展示され、当時の様子を感じることができます。
無料休憩所兼案内所として、史跡武蔵国分寺跡への来訪者や散策者に利用されており、「おたかの道湧水園」入園券の販売や国分寺の名産品の販売なども行っています。 ・おたかの道湧水園のチケット 一般100円(年間パスポート1,000円) 中学生以下無料(その他減免規則あり) ・史跡ガイドボランティア(無料・要申込み)の受付
江戸時代に尾張徳川家の御鷹場だったことに由来して、「お鷹の道」と名付けられた散策道です。国分寺市を代表する名所として親しまれ、四季折々の自然が楽しめます。
国分寺村の元町用水と野川が合流するところに架かる橋で、北側に不動明王碑が祭られていることから名づけられました。碑の横には庚申塔やかつて石橋だった不動橋を供養する石橋供養塔があり、村に災害の侵入を防ぐ意味から天保3年(1832)に建立(再建)されました。
【国名勝,都名湧水57選】 大正初期の庭園で、1934(昭和9)年には本館、茶室(紅葉亭)などが整備され、和洋折衷の回遊式林泉庭園として完成しました。その後1974(昭和49)年に都が買収し、都立庭園として開園しました。園内段丘崖の下部には湧水があり、「次郎弁天池」に注いでいます。 平成23年9月、別荘庭園として多摩地域初の国名勝に指定されました。
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